歴史と文化 2026/11/01 掲載
岸和田城と城下町の歩み
岸和田城の起こり、小出氏から岡部氏までの城下町づくり、落雷による天守焼失と昭和29年の再建、本町に残る紀州街道の町並みを、岸和田市の公式資料に当たって整理します。
岸和田城の起こりは、市の資料のなかでも説明が分かれます。市観光課のページは、建武新政期に楠木正成の一族の和田高家が築いたという伝承を紹介しています。一方、市立図書館のページが引く市教育委員会の新しいパンフレットは、築城を16世紀前期から中期ごろとみています。本丸の石垣の中から16世紀前期から中期の年号を刻んだ墓石が百数十基見つかり、石垣は永禄年間(1560年ごろ)以後に築かれたと読めるためです。和田氏の居城を示す同時代の史料は見つかっていないとする論文も、同じページに紹介されています。
城が近世の城郭として整えられたのは、豊臣秀吉の紀州攻めのあとです。市観光課のページによると、天正13年(1585)に秀吉が叔父の小出秀政を城主とし、秀政が城郭を整備して天守も築きました。市制施行100周年記念誌は、この天守を慶長2年(1597)に秀政が築いたと記します。1585年が城主となり整備を始めた年、1597年が天守の完成した年と読めますが、市の資料はこの点を明記していません。城主は小出氏が秀政、吉政、吉英と続き、松平(松井)康重と康映を経て、寛永17年(1640)に岡部宣勝が6万石で入城しました。のち5万3千石となった岸和田藩を、明治維新まで岡部氏13代が治めます。
城下町の形は、この大名の交代のなかで整いました。2008年の市の景観形成基本方針は、秀吉が天正年間に中村氏を岸和田に置いたころに城下町の原形ができ、小出氏3代、松平氏2代、岡部氏13代と受け継がれたと説明します。松平氏は海辺の防衛のために浜辺の石垣を築き、岡部氏は南方に備えて津田川の堤防を改修しました。岸和田城とその周辺は町、浜、村に分かれ、町と農漁村が一体になった城下町だったとされます。町割りの細かな区画までは、今回確かめた市の資料に書かれていません。
江戸時代の五層の天守は、文政10年(1827)に落雷で焼失しました。維新期には、藩が櫓や門など城の施設を自ら取り壊したため、堀と石垣のほかに近世以前の構造物は残っていません(市観光課)。市制施行100周年記念誌によれば、明治に入って二の丸御殿や伏見櫓も取り壊され、残った本丸と二の丸が昭和初期に千亀利公園として整備されました。一方、城下町は、焼失後も大火や戦災を受けずに歴史的な面影を多く残していると、景観形成基本方針は述べています。岸和田藩は明治2年(1869)に版籍奉還し、明治5年に岸和田は堺県下に入り、明治14年に大阪府へ編入されました。
現在の天守は、市民の側から再建が持ち上がって実現しました。昭和28年(1953)に市庁舎建設のため図書館を撤去することになり、これを機に、内部を図書館とする天守閣の建造が話し合われます。岸和田市PTA協議会と岸和田城址保存会が市議会へ請願し、市民の寄附や旧藩主の岡部家子孫の要望も重なって、再建が決まりました。総工費3470万円のうち寄附は460万円とされます。約1年の工期を経て、昭和29年(1954)11月に、焼失から127年ぶりの天守が建ちました。
この天守は、木造五層の復元ではありません。設計は池田谷久吉、施工は市内の岩出建設で、記録上は「再建」の名がつくものの、実際には3層3階の図書館の新築工事でした。市立図書館のページによると、鉄筋コンクリート造で、現在の図書館本館が昭和50年に開館するまでの約20年間、図書館として使われています。記念誌は、戦後の天守再建では全国で2番目に早かったと伝えます。現在は内部に歴史資料を展示し、市は令和11年(2029年)の再建75周年に向けて、展示を新しくするリニューアルプロジェクトを進めています。
城の前に広がる八陣の庭は、天守より早い昭和28年(1953)に、作庭家の重森三玲の設計で完成しました。市観光課のページによると、芸術上と近代日本庭園史上の価値が評価され、平成26年(2014)10月6日に国の名勝に指定されています。城跡については、観光課のページが昭和18年に大阪府指定史跡となったと書く一方、市の指定文化財一覧は府指定史跡「岸和田城跡」の指定日を平成6年12月12日としており、2つの日付が並んでいます。城の西側の本町地区では、紀州街道沿いに本瓦葺き、中二階、出格子の建物が残ります。市は平成5年(1993)にここを歴史的まちなみ保全地区に指定し、歴史的景観建築物35件を定めました。空き家の古民家が増えたため、令和8年(2026)1月に民間団体と連携協定を結びました。
要点
- 江戸時代の天守は五層で、慶長2年(1597)に築かれ、文政10年(1827)に落雷で焼失(市制施行100周年記念誌)
- 現在の天守は昭和29年(1954)11月に完成した3層3階の建物。総工費3470万円のうち寄附は460万円
- 寛永17年(1640)の岡部宣勝の入城から明治維新まで、岡部氏13代が岸和田藩を治めた(市観光課、2026年10月16日更新のページ)
- 八陣の庭は昭和28年に作庭され、平成26年(2014)に国の名勝に指定
- 本町地区は平成5年(1993)に歴史的まちなみ保全地区となり、歴史的景観建築物が35件指定されている
- 城跡の府指定の日付は、市の資料のあいだで昭和18年と平成6年12月12日に分かれる
出典:岸和田市観光課 岸和田城(2026年10月16日更新)/岸和田市 市制施行100周年記念誌 わがまちヒストリー 市民による天守再建 まちのシンボル「岸和田城」/岸和田市立図書館 岸和田城(2011年6月9日掲載)/岸和田市 景観形成基本方針(2008年11月)/岸和田市都市計画課 歴史的まちなみの保全/岸和田市郷土文化課 岸和田市内の指定文化財一覧(2025年3月現在)